私たちが世界で歓迎される理由。「おかげさま」で繋がる海の道
先日、ニュースで「いでみつまる」が、緊張の続くホルムズ海峡を無事に通過したという 報せを目にしました。その映像を見ながら、私の胸に去来したのは「当然、無事に通れるだ ろう」という、不思議なほどの確信でした。なぜ、これほどまでに信じられたのか。その答 えを探していくと、一冊の本――『海賊とよばれた男』に辿り着きます。
伝説の「日章丸」が、イランにとって「希望」だった理由かつて、世界を敵に回してでも「義」を貫いた一隻の船がありました。1953年、英国艦隊が 封鎖するアバダン港へと強行突破を試みた「日章丸」です。 当時の日本も苦境にありましたが、それ以上に絶望の淵にいたのがイランでした。自国の貴 重な資源である石油を英国の巨大資本に独占され、反旗を翻せば「一滴の油も売らせない」と 世界から経済封鎖を受けていたのです。 そこへ、撃沈の恐れを冒して現れたのが、日本の小さな民間企業が放った日章丸でした。 世界 中の船が英国を恐れて背を向ける中、丸腰でやってきた日本船を見て、イランの人々は熱狂しま した。「日本人が、我々の正義を認めてくれた」「同じアジアの国が、巨大な権力に立ち向かって くれた」と。 アバダン港に入港した日章丸を、イランの人々は花束と大歓声で迎えました。あの航海は、単 なる石油の買い付けではなく、抑圧されていた国々に「自分たちの力で立ち上がれる」という希 望を灯した、歴史的な事件だったのです。
世界に眠る「信頼の貯金」こうした歴史があるからこそ、中東の地では今も「日本」という名が特別な響きを持って受け 入れられています。そしてこの「信頼の貯金」は、他の国々にも脈々と受け継がれています。 例えば、トルコ。1890年のエルトゥールル号遭難事件以来、130年以上続く両国の友情は、 1985年のイラン・イラク戦争時にトルコ航空が日本人を優先して救ってくれた「恩返しの連鎖」 へと繋がっています。 あるいは、ジョージア。日本から寄贈された中古の消防車や救急車が今も街を走り、人々の 命を守っている光景に出会います。かつてジョージアの大使は、日本を「普通の人が、高いレベ ルで責任を果たす『社会人』の国だ」と評しました。 異国の地で私が笑顔で迎えられる時、それは私よりずっと前に、誠実さを積み上げてきた 先人たち、そして世界中の尊敬を集める天皇陛下の歩みが築いてくれた「信頼」が、今の私 達を守ってくれているのです。
「当たり前」の裏にある「おかげさま」「いでみつまる」が静かに海を渡る。 私たちが海外で胸を張って歩き、温かく迎えられる。 これらを「当然」のことだと思える幸せの裏側には、語り尽くせない先人たちの「徳」が隠 されています。 私はこの埼玉県久喜市で30年、不動産業を営んできました。どんな仕事も、どんな投資も、 自分一人の力で完結するものなど一つもありません。常に、誰かが切り拓いてくれた道の上を、 私たちは歩ませてもらっている。 穏やかに進む巨大な船影を見ながら、私は改めて「おかげさま」という言葉を噛み締めて いました。 この「信頼の航路」を汚すことなく、さらに太いものにして次世代へ繋いでいく。それが、 今を生きる私たちの役割ではないでしょうか。 皆さんは最近、どんな「おかげさま」を感じましたか? |








